いのちのほんと。愛のほんと。夢から得た話。
エッチしてよく寝て、お散歩行って、日光浴して、帰ってきてお昼寝してた昨日。
こうぞうが突然、「怖い夢みた。」
「全人類を救うためにじゅんちゃんがメテオストライク打つの。でも、打ったらじゅんちゃんは死んじゃうんだよね。」
「メテオストライク打たんといて」
と言ってなぜか泣き出す29歳、そして今年27歳私も泣き出す。どんな大人や。笑
これってなんなんだろう?
って思ったんだ。
なんでこんなに夢に心が痛くなって、しかも本人だけじゃなくて、私まで泣くのはなんでなんだろう?って。
たぶんさ、私が泣いたのはさ、
共感覚もあるだろうけど、
一番はさ、
いのちってそういうことなんだって、
思ったんだ。
「全人類のために」って言われたら、
打っちゃうじゃん?メテオストライク。笑
でもさ、「全人類」はそれで救われてハッピーエンド!
かもしれないけど、
打った本人と、
その人を愛する人は、
悲しいんだよね。
当たり前のことを言ってるんだけど。
いのちってそういうことだよね。
(生まれ変わりは信じてるけど、この今の体が終わってしまうのは私は悲しい。)
例え、全人類が救えたとしても、
目の前の人間を救いたい。
目の前の人間と共に時間を過ごしたい。
死んでほしくない。
ってのが愛なんじゃないかなぁ。
まぁ、エゴまみれだけど、
人間だからね( ̄^ ̄)ゞ
もっと言えばさ、
「人のためにこうしなきゃ」
「子どものためにやんなきゃ」
がいかに無意味なのかがよく分かる。
人はつながってるのが自然だし、
思いやりとか優しさは、
ルールや思い込みから、
しなきゃならないんじゃなくて、
湧き上がるもの。
だから、やんなきゃ!とか、
社会のために!
とか言ってる人は、
雑念だらけなんだよね。
人は自分を一番幸せにしたとき、
自然と他者への愛が満ち溢れてくるもの。
そして、自分を一番愛したときから、
人からも愛されることが当たり前になる。
一年半位前は、
私も子どもたちのために!
ってひたすら社会通念を掲げてたんだよね。
でもさ、それってやんなきゃ!って恐れからの行動だった。
ダメな自分を認めてほしい。
だから、人からすごいね!って言われることを声高に言いたい。みたいな。照
だけど、苦しいんだよね。それって。
夢に近づけない自分を責め、
行動できない自分を責め、
まだまだだと他人と比べ、
自分を大きく見せようとする。
辛かったなぁ。
だから、やめたの。
やーめっぴ!笑
今の自分を認めて、
どんな自分も愛して、
ただ過去も未来もなく、
今を生きよう
そう決めたんだ。
そしたら、メテオストライクで泣いてくれるアホなこうぞうに愛されるようになった。
職場でも、川口さんの子どもたちへの愛は素敵ですねとか言われるようになった。
なんだ。これだけだったのか(((o(*゚▽゚*)o)))
いまなら思えるよ。
だけどさ、色々なプロセスもあったのさ。
だから、そのプロセスで得た経験を話す私の初せみなーにきてねo(^▽^)o
ひとは自分に必要な情報や出会いを、
直感とかときめきとかドキドキに乗せて知らせてもらえんの。
だから、
お金がどうとか、
時間がどうとか、
仕事がどうとか、
そんなこと関係なく、
行きたい!
と言ってる今の自分の気持ちを、
一番に優先してあげんの。
それが、自分を一番大切にする一歩目なのだ。