「心の底から自分を愛おしい」って思いたいなら、「できない」ことを素直に認めること
昔、保育園で小さい子を見てる時はさ、
【身なりを丁寧に整えてあげなければならない】
って言われてたし、
そう思ってた。
でも、今は、
【曲がったままの帽子を被ってるありのままの姿が愛おしい】
って思う。
みくが「自分で被りたい」
って思って、
それを自分で実行して、
満足している姿が、
愛おしい
って思う。
「それを直してあげなきゃ。 」
「身なりを正さなきゃ。」
って思ってた時は、
【そうしないと笑われる】
【そうしないとバカにされる】
【そうしないとだらしないと思われる】
【ちゃんとしないと】
【周りの人に何か言われる】
ってね。
周りの目が氣になって、
怖くて仕方なかった。
【人生の主人公は、わたしである 】
ということを完全に忘れてた。
【そうしないと笑われる】
【そうしないとバカにされる】
【そうしないとだらしないと思われる】
【ちゃんとしないと】
【周りの人に何か言われる】
って
主語が全部、
[他人]だもんね。
でもそれは、
【私が私のありのままを認めると共に変わっていった】
「おっちょこちょいな所も、すぐ忘れちゃう所も、数字が苦手なところも、決められたルーティンの仕事ができないことも、
全部わたし」
「できない」ことを素直に認めて、
「できないことはやらなくていいこと」
なんだという脳内設定に切り替えた。
そしたら、
「おっちょこちょいな所が可愛いね♪ 」
とか、
「忘れられるって才能だよ」
とか、
言ってもらえるようになって、
わたしのできないことを、
周りの人がサポートしてくれるようになった。
そして、そのことに罪悪感も一時あったのだけれど、
「わたしのできないこと」
は、
「誰かのできること」
「誰かの得意なこと」
なんだと知った。
「できない」
ことは悪じゃないんだって、
その頃のわたしには衝撃だった。
「できないこと」=「いけないこと」
だと思っていたから。
だから、
「成長しなければ」
「できる自分でなければ」
「相手を尊敬できる自分でなければ」
「長所を伸ばさなければ」
【私は愛されない】
【私は幸せにはなれない】
と思ってた。
「できない」=「可愛い」
でもあるんだ。
確かにそうだ。
赤ちゃんは歩けないけど、可愛い
むしろ、コロコロ寝転がってるのが可愛い。
できないことを、悪だと思ってないからだ。
「できない」とさらに「やりたくない」
まで素直に認められるようになった時、
自分でも、
おっちょこちょいな自分を、
すぐに忘れてしまう自分を、
社会に適応したくない自分を、
笑えるようになった。
面白がれるようになった。
「これがわたし」
そう思えるようになった。
そして、
わたしが得意な感性が豊かなこと、
絵を描くこと、
愛を伝えること、
人と話すこと、
人の本音と共に在ること、
そんな自分の才能を目一杯活かさせてもらえるような環境が整っていった。
「わたしがわたしで在るだけで、
周りを幸せにできるんだ」
と体感した時、
本当に心の底から、
「ありのままの自分でいいんだ。」
そう思えるようになった。
ありのままの子どもを、
愛おしい
と思えてよかったなぁ
って。
今日つくづくおもた。
が、イライラする時ももちろんあります。笑
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今、もしあなたが、
「成長しなければ愛されない」
と思っているのなら、
まずは、
素直に、
「自分のできない」
「やりたくない」
を認めてあげたらいいんじゃないかな?
できないことは、
悪
じゃなくて、
【あなたが愛されるポイント】
かもしれないよ?
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