「できるできないで人を判断しない教育」ってもう古い〜親が自分自身で在ることが最大の共育
ここ最近の「心理学ブーム」
みたいなので、
「できない自分にも◯をつける」
っていうのが、
少しずつ定着してきてるんじゃないかなー?
って勝手に思ってるんだけど、
てゆうか、じゅんこも、
「おっちょこちょいで、
仕事テキパキできない自分」
にも◯をつけてきたんだけどさ、
でも、子どもと接するときは、
じゅんこは元々保育士だったから、
「できるできないで子どもと関わらないなんて、
当たり前じゃね?」
って視点だったんだよね。笑
ま〜、でもさ、
今の保育、教育ならともかく、
昔はきっと、
より「できるから褒められる」
って要素が強かったと思うから、
今の大人達にとっては、
だいぶグッとくるよな〜
って思うんだけどね。
じゅんこも含めね。
(今日はなんとなく、
上から目線だな。笑
ま〜いいや)
んでさ、
「できるできないで子どもを判断しない」
の時代が終わって、
「存在自体を褒めて育てる」
って時代が来てると思ってるんだけど、
それすらももう古いんじゃないかな〜って思ってるんだよね。
どういうことかっていうと、
「存在自体を褒めて育てる」
っていうのの説明からいくと、
なにかができるから、褒めるのではなく、
「生まれてくれてありがとう。
できてもできなくても凄いね。」
って褒めて育てるって方法。
存在自体を褒めるから、
競争意識とかがぜ〜んぜん育たなくて、
ものすごく平和で、
自分の才能のままに生きれる。
らしい。笑
でも、最近さ、
「褒める」
という行為すら、
「これ、コントロールじゃね?」
って思う時があるんだよね。
「褒める」
こと自体が悪いって言ってるんじゃなくて、
「褒めて、自己肯定感を育てていこう!!!」
って、
思ってること自体が、
コントロールなんじゃないかな?
って感じるようになったのね。
「いや、子どもは元々、
自己肯定感の塊だし、
自分自身とつながりが最強にできてる存在だし、
褒められたからできるようになったんちゃうわ!!」
って思うのよ。
で、だからって別に褒めるなって言ってるわけじゃなくて、
「自分が言いたくなったら言う」
でいいんじゃね?
と思うのよ。
うちにも、子どもが2人居るけど、
「うわ〜超可愛い〜♡」
「なんて優しいんだ!」
「大好きよ〜♡」
って言う。
でも、
意識して、
「こうなってほしいな」
って思って言ったりはしない。
じゅんこが、
「可愛い!」
って、
思ったから言うだけ
それで十分なんじゃないかな〜って思う。
てゆうか、
そもそも、
そもそもだよ、
「子ども褒めるとかより、
あんたがあんたを生きてるか?」
が大事なんであって、
崇高な教育論勉強するより、
常識的に生きるより、
「自分が自分で在る」
ことを、よっぽど努力するもんで、
「子どもにどう育って欲しい」
とか、
「こういう風になってほしい」
とか、
「いやいや、どう生きたいかは本人が決めるから!」
って話で。笑
そんなことよりも、
「今、自分はちゃんと自分自身で在れてるか?」
「本音のままに生きられてるか?」
に集中する。
すると、
「じゅんこはじゅんこのありのまま」
で居るから、
こどもも、
「ああ、このまま、ありのまま生き続けていいんだな」
って思って、
勝手に自分の生きたいように、
活かしたかった才能のままに生きる。
そう思ってる。
だから、
うちは、
「子どもを育てようとしない」
「子どもには自分で育つ力があるから、それを邪魔(価値観の押しつけ)しない」
「親と子の縦の関係性にならない」
「一緒に純粋に自分を共に生きるパートナー」
「教育でなく、共育」
の時代がくる
って勝手に思ってる。
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