気持ちよくなることに罪悪感を抱くのは、自分が心地いいこと、やりたいと思ったことを、周りから疎外されたことによって、それは気持ちよくないことなんだとイコールされてしまったの図である。
例えば、おにゃニーとかさ、
小さいときにやってる自慰行為ってのは、性的な意味あいじゃなく、
お母さんに頭なでられて気持ちいいの感覚なんやけどさ、
大人って、すぐ性的なものに結びつけるから、ダメ!と言ってみたり、
見てやきもきしたりするんだよね。
だけど、なんでダメなの?
子どもはアホじゃないから、
周りを見て、
あ、こりゃ人前でやったら嫌な人もいるんだなぁ
って自然にわかるし、
自分の体の気持ちいいを探してるんだからいいじゃんね。
周りの大人たちによって、性は隠すもの、恥ずかしいもの、ネタにするもの。
そんな思い込みが作られてきた。
だけど、そうじゃないよね。
性は自分のもの。大切なもの。ネタにしてもいーけど、本当は真剣なもの。
だから、自分の気持ちいいを隠す必要なんてないんだ。
いいやん、1人で宇宙と繋がれる行為。
素敵やん。
自分の体のこと愛する行為。
誰かのためにする前に、
自分のために。
自分を最高に心地よく。
自分を最高に幸せに。
それが当たり前になってきたら、
過剰な幸せも不幸も必要なくなる。
ただ今を生きることだけが、
私にとっての真実であり、
過去の私も、
明日の私も、
今の私ではない。
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んだから、子どもの自慰行為をやめさせなくてよし。
人前でやらせるのがやだったら、
お部屋でやる約束すればよくね?
2015-12-18 | Posted in 共育(子ども) | No Comments »
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