【子どもは共に生きる1人の人間〜感情の出し方、捉え方 】
おととい、じゅんこは眠たくて疲れて泣いた。
(たまに泣く)
そしたら、美空は優しく笑った。
「じゅんこ大丈夫だよ。一人で寝れるよ。
少し休みなよ〜」
そう言ってる氣がした。
(そういう氣がする、ふと、直感、感じる
ってものの全ては勘違いではなく、
きっとそうなのだ
と採用することにしている。
だから、美空の意志は結構よく分かる)
だから、じゅんこは美空の隣で少し休んだ。
ま、あんま寝れなかったんだけどね。笑
で、ここで、
子どもを
【まだ産まれたばかりの未熟な子 】
として捉えていると、
子どもがかわいそう、
まだ一人で何もできないのに。
とか思っちゃうわけです。
そう思うことを否定はしない。
肉体は確かに、
まだ自分の意志通りに全て動かせる
とは言えない。
だけど、
【魂は大人も子どもも関係なく同じ】
だと思ってるとまた見え方が違う。
小さくて可哀想で、
なにもできない人間
として見るのか、
【純粋な魂を持つ一人の共に生きる人間 】
として見るのか、
ではきっと、
育ち方が違うのだろうと思いまする。
【世界は自分が見て、
思っている通りの世界になる。 】
子どもといることは、
煩わしい、面倒、大変、疲れる、 問題ばかり、不安、心配、
と思うのか。
子どもといることは、
楽しい、安らぎ、愛おしい、面白い、何の問題もない、この人は自分の力で育ちたいように育つ、
と思うのか。
では、たぶん全然違うのだと思う。
だからと言って、
自分の氣持ちや、感情、やりたいことを我慢しなくていいんだよね。
むしろ、我慢してると、
私は〜してるのに… どうして寝てくれないの?
どうしてわかってくれないの?
どうして泣き止んでくれないの?
ってなっちゃう。
泣けばいいやん。
寝たらいいやん。
やりたいことやったらえーやん。
どうやるのかは工夫したらえーやん。
誰かに頼るとか、
子どもに直接お願いしてみるとか、
時間ずらすとか、
子どもが集中できるもの用意するとか、
なんでもやり方はある。
自分のやりたい!
を必ず叶えてやるんだ!
って肚から決めている人間は、
必ずそれが叶う。
タイムラグはあっても絶対叶う。
そんなこと言っても子どもが〜
とか、
そんなこと言っても頼る人いないし〜
とか、
時間が、お金が、場所が、仕事が、
言い訳してるのは、
自分のやりたい!
を肚から決めてないだけ。
決められない。
決めたくない。
だって、もっと悩んでたいもの。
だって、もっと辛さを味わって、その後急激に幸せになりたいんだもの。
やねん。
だから、悩みたい人は悩ませとけばいい。
辛い人は辛いでいい。
不安は不安でいい。
幸せは幸せでいいし、
どん底はどん底でいい。
どれかはダメ。
なんてことないんやって。
辛いなら辛いを味わいきればいい。
不安なら不安を味わいきればいい。
怒りなら怒りを、
悲しみなら泣くことを。
我慢しないでいいんだよ。
全部全部やりきったらきっと。
自分がなりたい方、
やりたい方が見えてくるから。
********
じゅんことつながりたい人はこちらから
じゅんこの公式LINE@登録はこちらから
https://line.me/R/ti/p/%40rbi2986j
ID検索はこちらから
@rbi2986j